2010年12月08日

青縞プロジェクト スタート


 「青縞(あおじま)プロジェクト」を始めます。蕨宿から川口宿にかけて、とくに川口市の横曽根地区では、縞模様の綿織物がさかんにつくられていました。この青を基調とした縞文様のデザインを現代に活かすプロジェクトです。

 埼玉南部地域の荒川沿いは、江戸時代は徳川幕府直轄地で戸田領横曽根村でした。綿織物の歴史は古く、その起源は、塚越村(現蕨市の西川口との境周辺)の高橋新五郎が文政8年(1825)に織機を改良工夫して精緻な「青縞(あおじま)」を産出したことにはじまります。青縞とは、タテ糸もヨコ糸も同じ藍染の糸で織られた無地紺です。
 
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青縞(あおじま)

藍染めを空気にさらす(酸化)際に、糸をくまなくさらさないと、白いままの糸がところどころにできて染めむらとなります。その糸で織りあげると、予期しない白い筋がタテに入ります。それが青縞です。

 その後、文久元年(1861)に初めて洋糸を使用して、木綿双子縞の製織を試み、これに成功しました。双子縞とは太縞の両側に細い縞を配した縞柄です。日本最初で「塚越双子縞」の名で広く販売され、「埼玉双子」「東京双子」と呼ばれるようになり、世の称賛をうけました。

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双子縞(ふたごじま)

 蕨市のホームページによれば、塚越の高橋家には4冊の縞帖が伝わっているそうです。近代産業史の資料として貴重なもので、蕨市の指定文化財*となっています。
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蕨 見どころ案内(塚越地区)より転載

 『川口市史』によれば、塚越村に起こった機業は、漸次、川口の横曽根・芝・前川方面に移されました。旧前川村の斎藤幸蔵ほか2,3名が相図って、青縞機を考案しました。その後、糸入結城、糸入縮、鳴門縞を織りだした、とあります。結城は絹織物、鳴門縞とは、現在の阿波しじら織(たたえ織)につながる流れでしょうか。染色業は全国各地にありますが、埼玉県南部の織物は、東京という一大消費地を控えて、早くから各地の最新の素材の肌触りの感覚や人気のデザインを取り入れつつ、綿、絹、交織などに広げて多様な展開をしていったことがうかがえます。

 安政年間(1854-1860)英国から綿糸を購入して「唐桟織」を始めてから需要が伸び、明治末期に最盛期に達しました。

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 唐桟縞(とうざんじま)

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 矢鱈縞(やたらじま)

 明治31年には横曽根村で、機業家、尾熊伊兵衛を発起人として遠山藤八ほか9人を創立委員として、「横曽根村織物組合」が設立されました。
 明治40年における川口市内の織物の生産を村別にみると、芝村と横曽根村が中心になっており、価格でみると市域の8割近くを占めています。芝村と横曽根村では、双子その他の縞木綿を、また横曽根村では、男帯、女帯も生産していました。

 昭和21年10月25日、市域周辺の繊維・織物業者15工場が集まり、繊維復興祭がおこなわれました。その後、飛躍的に伸び、上青木、前川、神根、芝方面に多く立地し、昭和30年には82工場にまでなってゆきます。当時の綿織物は、金巾(旗などによく使う)、粗布、細布、天竺、ポプリン、仁斯(ジーンズ)、雲斎(足袋の裏地の斜織)、フランネル、ギャバジン、厚織などで、地下足袋、縞風呂敷、シーツ、座布団カバー、こたつ上掛け地、タオル、工業資材など、各上場の持ち味を生かして多様な織物生産がおこなわれていました。関連産業である紺屋もおおいに栄え、昭和25年に川口、鳩ケ谷エリアで25件の染物屋が営業していました。昭和30年代に織物業は不振におちいり、他産業へ転換してゆきました。

 織物業の生産の復活は簡単ではありませんが、その歴史の中で培われた「縞」のデザインを現代の多方面の暮らしやプロダクトデザインに活かすことはできます。

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地元サッカーチーム「アヴェントゥーラ」の青の縞文様

 埼玉県内では、2007年12月に「埼玉織物サミット」が川越で開催され、各地から14団体が集まるなど関心が高まってきています。
 
 蕨市内では、「中仙道蕨宿双子織復興会」が組織されています。群馬県館林市の染色業者さんの協力を得て双子織の復興の努力を始めています。

 川口市でも、藍染、形成デザイン(文様)に興味のある方と連絡をとりながら研究会をつくり、狭い意味での青縞、双子縞をふくむ、様々な縞模様のデザインを勉強することから始めたいと思います。研究会については気軽にお問い合わせください。とくに古い風呂敷、衣類、はぎれ類をお持ちの方がいたらぜひお教えください

【参考】
川口市史
縞のデザイン わたしの縞帖, ピエ・ブックス, 2005年
幕末から明治にかけての横曽根村を中心とした川口市域の織物業のついては以下が詳しい。「幕末・明治初年における埼玉県南部地方の綿織物業,竜谷大学,社会科学研究年報、創刊号,昭和45年3月)

posted by コラボブログ at 02:32 | TrackBack(0) | あしあと帳(日記)
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